ブラックボックスを開けていく勇気

都知事選でも話題になった「ブラックボックス」。もともとは、工業製品やソフトウェアを扱う際に、内部の仕組みや動作原理を知らなくても、その利用者にとって実用上の問題が発生しないことを指す言葉です。都知事選の場合は、組織の意志決定プロセスが、外部の関係者から見て不明瞭であることを指摘する言葉として用いられているため、何か悪いことを指すように感じてしまいますが、実は、私たちの日常生活がブラックボックスに囲まれていることは、あまり意識しないことかも知れません(むしろ、意識しないからこそ、ブラックボックスなわけですが)。

 

日常の現実は、ブラックボックスに囲まれている

例えば、もしこのブログをスマホで読んでいるとしたら、目の前のスマホのタッチパネルが、どのような仕組みで動作しているか、あるいは、液晶が、どのような仕組みで画面を表示しているか、さらには、無線通信が、どのような仕組みで行われているか、説明できる人はほとんどいないでしょう。

あるいは、Googleの検索結果のランキングが、なぜ特定のページが1位になり、他のページが1位にならないか、そんなことを意識する前に、検索結果をクリックして先に進んでしまう人がほとんどでしょう。

実際、そんなことを知らなくても、生活に困ることはない(ように見える)ので、そういう複雑なことに認知資源を割かないように、人間は無意識的に情報を選別しているのだと言えます。つまり、ブラックボックスとは、そこにブラックボックスが存在していること自体を、意識の外においてしまうような「何か」である、と言えます。

 

問題解決における疑いの対象を見つけるために

科学社会学者のブルーノ・ラトゥールは、(物理的な工業製品やソフトウェアに限らず)、あらゆる既成「事実」が、実はブラックボックス化された言明である、と論じて科学論に一石を投じました。ラトゥールの議論の是非はともかく、「既成事実」とされている多くの事柄が、ブラックボックス化されているという観点は、現実の問題解決において重要な視点であると思います。

例えば、「売上が伸びない」という問題が発生したとき、その問題の原因を探っていく過程において、どうしても「目に見える」何かに目が向きがちです。価格が高かったんじゃないか、需要がなかったんじゃないか、広告のクリエイティブが悪かったんじゃないか、などなど。もちろんそういうところに原因があるケースであれば良いのですが、現実はそうもいきません。

こういうときに、どこまでブラックボックスの存在に気づき、それを開けていく勇気を持てるか?ということが突破口になることがあるのです。

よくあるパターンの一つは、「売上が伸びない」という事実認定自体が、ブラックボックスに依存しているが故に、その間違いに気がつかない、というものです。例えば、「売上」が伸びているか伸びていないか、昔の担当者が作ったExcelシートの計算結果をもとに判断していたとすると、そのExcelシートはブラックボックスです。それがブラックボックスであるということは、「これまで間違いが起きなかったはず」という過去の経験だけを根拠にそれを信じている、ということに過ぎません。その「既成事実」を疑い、「計算結果に間違いがあるかも知れない」と仮定してブラックボックスを開けない限り、問題は解決しないかも知れません。そして、もしそこに問題があったとき、過去に頼ってきた「既成事実」が全てひっくり返るリスクがあるということは、ブラックボックスに頼る恐ろしさでもあります。

 

既成事実という歴史をひっくり返す勇気

もっとややこしいパターンは、組織の行動パターンや、製造や流通にまつわる環境の事実認定自体が、いつの間にかブラックボックス化しているケースです。例えば、工場の存在自体がブラックボックス化し、ある製品の1日当たりの生産可能数の上限が既成事実化し、それを所与の前提として考えてしまう、というようなことです。例として言ってしまうと簡単なことのようですが、ブラックボックスとは、その存在自体が意識の外にでてしまうようなものであり、さらには、その「既成事実」によって支えられてきた歴史の積み重ねが無意識的にその事実性を強めるが故に、中にいるとなかなか気づきにくいというのが厄介なのです。そして、多くの場合、そのブラックボックスが「ひっくり返る」と、困る人がたくさん出てくる、すなわち、「過去の蓄積」という根拠のない何かを、事実と信じて無意識に依存していることで不都合がたくさん生じる、ということが起こります。

ブラックボックスに気づき、問題の真因を疑う視座を身につけるには、常にブラックボックス的な存在に囲まれていることを意識することはもちろん、「ひっくり返ったら困ること」に対してあえて疑いの目を向ける勇気が必要です。

日常のメディア経験に潜むブラックボックスを、少しでも開けていくこと、そして、そのブラックボックス同士の関係がどうなっているかを、少しでも可視化すること、私自身もそんなことを目指していければと思います。

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