DeNAが運営する「キュレーションメディア」が信頼性の低い情報を量産してきたこと、さらには無断引用や剽窃と疑われる記事が多く見られたことで批判を浴び、Webにおける「キュレーションメディア」全体が厳しい目にさらされています。この事件自体は未だ現在進行形であり、かつ多くの言説が生産され続けている状況ではありますし、自分自身もまだ整理しきれない部分もあるのですが、Webマーケティングの業界にいる者として、そして、デジタルメディアの未来を研究する者として、少し違う観点からこの問題を問い直してみたいと思います。

何が批判の対象なのか

今回の事件で、批判の対象とされる「悪」とは大きく2つに分類できます。

  1. 虚偽かもしれない情報を十分な裏取りもせずに掲載していた(ジャーナリズム的倫理の観点)
  2. 他者の著作物を無断で引用、参照し、かつ出典が明確でなかった(知的所有権的倫理の観点)

ここで改めて考えてみたいのは、メディア運営者側の「意図」です。一部報道にある通り、クラウドソーシングを「悪用」し、無断引用を積極的に推奨するようなマニュアル化や、文末表現の工夫による責任回避など、度を超えた「量産」があったことは、一般的な「倫理」を大きく逸脱しており、弁解の余地はありません。
しかし、私がここで問いたいのは、彼らが、必ずしも最初から「悪いことをしよう」と意図していたのかどうか、もしそうでなかったのだとしたら、なぜ「悪いこと」に手を染めることになったのか、ということです。
このことを考えるためには、一度、メディアのビジネスとしての運営について、原点に立ち戻ってみる必要があります。

「メディア」のビジネスモデル

いわゆる「メディア」と呼ばれる存在、すなわち、情報提供を行うWebサイトや新聞、テレビ、ラジオ、雑誌などのマス・メディア、さらにはソーシャルメディアや検索エンジンも、現代の資本主義社会で存続するためには、なんらかのビジネスとして、運営資金を得られる仕組みが必要です。

「メディア」の収入源として考えられるのは、次の3つです(なお、今回の件では「キュレーションメディア」なのか「キュレーションプラットフォーム」なのかという議論がありますが、記事の投稿者が一般ユーザーであれ、運営側であれ、ビジネスモデルという観点では実質的に同じ考え方になるかと思います)。

  1. 広告収入
  2. 利用者からの収入(購読料、利用料など)
  3. 慈善事業(ボランタリーな出資)

このうち、3.は成功例が少なく、今回の問題と論点がずれるため、ここでは置いておきます(実は3.の方向性にもいろいろな可能性があるのですが)。

収入源を1.広告収入もしくは、2.利用者からの収入に求め、「メディア」を継続的に運営し続けるためには、いずれの場合も、より多くの利用者を獲得することが重要になります。2.のモデルであれば利用者数がそのまま収入につながりますし、多くの場合1.のモデルでも利用者が多ければ広告価値が高くなるからです。
したがって、「メディア」を運営するということは、必然的にその利用者を増やそうとするマーケティングの意図が働きます。繰り返しますが、「メディア」運営にコストがかかる以上、ビジネスとして成立しうる収入がない限り「メディア」は成り立ちません。つまり、このこと自体を「メディアが金儲けをしている」と批判することは、的がズレていると言わざるを得ないわけです。

さて、そのような前提に立った時、「メディア」を運営する「なかの人」にとって、利用者を増やすことは活動上の重要な要素の一つとなります。これは、Web上のメディアに特有のインセンティブのように表象されがちですが、ビジネスモデルとしてはオフラインのメディアも同じです。雑誌や書籍は、当然、発行部数が増えなければビジネスとして成り立たないですし、テレビは広告(=CM)収入、新聞は広告と購読料のハイブリッドモデルになっています。「利用者を増やす」というインセンティブは、「メディア」というビジネスにとって必然的な要請なのです。

DeNAの問題は、この「利用者を増やす」ことだけが目的化し、「コンテンツの質」が置いていかれた挙句、過度の量産のため一線を超えていわば「暴走」してしまったことにあるわけです。もちろん、誤った情報を流したり、知的所有権を侵害する行為をしたりすることは許されることではありません。しかし、「メディア」をビジネスとして運営する以上、「利用者を増やす」ために工夫をしようという意図までをも、「悪」と断じることは難しいと言わざるを得ません。

繰り返される「メディア」の暴走

この問題を考えるとき、約10年前に起きた、「発掘!あるある大事典」の捏造事件を思い出さずにはいられません(詳細はWikipediaをご覧ください)。「利用者を増やす」(=視聴率をあげる)ため、信頼性は低いがウケが良い情報、特に健康に関する情報をテレビ番組として取り上げ、引用の範囲を逸脱した恣意的な「捏造」を行うなど、今回の問題と驚くほど類似しています。だからといって、DeNAの「悪さ」が軽減されるわけでは決してないのですが、今回の問題が、「メディア」というビジネスモデルにおいて、構造的に発生しうる問題の一つであり、経営者や担当者の個人的な「悪意」に還元できる問題ではないということが、私の指摘したい点です。

さらに言えば、この問題は、Webメディアという「未成熟な」現場だけに起きるものではなく、「メディア」ビジネス一般に共通して起こりうる問題であるということです。したがって「既存の」マス・メディアによる、「だからWebメディアはいい加減だ」という論調には、Webメディアの運営を担う一員としては、異を唱えざるを得ないわけです。

問われる「経営力」

ではWebメディアの運営者はどう考えればいいのか。明確な答えはまだありませんが、一つのヒントは、「既存の」マス・メディアが長い歴史の中で培ってきた「ジャーナリズム」という思想をいかに学ぶか、ということになるでしょう。
Webメディアはビジネスの運営者と、コンテンツの編集者の距離が近く、小規模で運営されるケースがほとんどです。それが、Webメディアのスピード感と柔軟性を支えているわけですが、一方で、ビジネスとしての余裕がなく、テレビ番組の視聴率以上に、PV(ページビュー )の獲得に追われてしまっているのが現状だと思います。このラットレースから、脱却しなければなりません。
すなわち、短期でのPVの成長よりも、中長期でのエンゲージメント、つまりはユーザー満足によって、スピードは多少落ちても着実に付加価値を増大させていく成長の仕方を目標に織り込んでいくこと。そのために、ユーザー満足を実現するための技法としての「ジャーナリズム」を学び、実践していく必要があるのだと思います。
ある意味「当たり前」のことかも知れませんが、短期の成長サイクルが染みついたWebメディアの「なかの人」には「言うは易し、行うは難し」なのが実態です。
目先のPVよりも、正確性、真実性、専門性をプロフェッショナルとして追求できるか、しかもそれを、ビジネス的に破綻させずに継続できるか、組織的に実行できる体制が作れない限り、もはや「メディア」ビジネスを実践する資格はありません。実は、問われているのはある種の「経営力」なのかも知れません。


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