それ、ドラえもんで見たよ!

先日5歳の子供と、おなかについて話していたときのことです。

食べ物は胃のなかに入って、胃の下には腸というところがあって、それがおしりにつながっている、ということを教えていたら、急に

「胃の上は食道だよね」

「それでさ、食道を上っていくと、鼻に出ちゃうんだよ」

と言い出すのです。

これまで、そんなこと教えたことがなかったので、驚いて

「どこで聞いたの?」

と聞くと、なんと

「ドラえもんで見たよ!」

ということでした。

どうやら、ドラえもんのお話で、スモールライトを使った、身体の中に何かを探しに行った映像を見たようなのです。

ドラえもん自体はもちろん、エンターテインメントコンテンツなわけですが、同時にそれが、エデュケーションメディアとしても機能しているのだと考えられます。

つまり、ある種の「ストーリー=コンテンツ」を媒介にして、身体の構造という知識を伝えるコミュニケーションを成立させている「媒体=メディア」となっているわけです。

 

「共感」を生み出すストーリーの力

言語化できない何かを共感するということでも書いた通り、コミュニケーションには2つの次元があると言われています。「伝達」と「共感」です。「胃の上に食道がある」という知識は、コミュニケーションの相においては、「伝達」されるべき対象です。
これをストレートに伝達するメディアとして、理科の教科書や、図鑑があります。
しかし、直観的に、ドラえもんの方が、教科書より「伝わる」感じがしませんか?

それはなぜか。

ドラえもんには、ストーリーというコンテンツがあります。そして、そのストーリーは、「共感」というコミュニケーションのもう一方の相を担う強力なツールなのです。「共感」という回路の上に、知識の「伝達」がなされる。この二重の図式が、コミュニケーションをより強固にし得る、と考えることができます。

逆に言えば、多くの場合、「共感」を伴わない「伝達」はコミュニケーションとして成功しにくいのです。

どんな教科書よりも、強力なストーリーがコミュニケーションを強固にさせる。

知識の「伝達」というコミュニケーションを果たすメディアとして、教科書には共感性がない。
一方、ドラえもんには、「伝達」する知識の正確性と網羅性はともかくとして、ストーリーの力で「共感」させることができる。

「伝達」の相における言語的なコミュニケーションの基盤として、身体的な「共感」がある、このことは、社会学や哲学の文脈でも論じられてきたことです。

 

人工知能の時代だからこそ考えたい、コミュニケーションの意味

よく振り返ってみたら自分も、恐竜が絶滅したのが隕石のせいだとか、

日本列島は氷河期以前大陸と地続きだったとか、ドラえもんから学んだ知識なのでした。強力で魅力的なストーリーに「共感」する文脈だったからこそ、そういった知識が、身体的に根付いたのではないか、そんな気がしています。

ドラえもんは進歩し続ける科学の象徴です。

人工知能の時代、言語的な「伝達」を超えた、「共感」という身体的なコミュニケーションの相を、しっかり意識することが、ある種の「科学リテラシー」になり得るかもしれません。

 

 


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