「ユーザー志向」が失敗するワケ

ユーザー志向の目的

マーケティングの世界でも、UXデザインの世界でも、「顧客志向」や「ユーザー中心」の重要性が強く説かれています。使う言葉は違えど、サービスの受益者たるユーザーにとっての価値を最大化することが大切であるという論旨は共通しています(この考え方を、ここではさしあたり「ユーザー志向」と総称します)。

このユーザー志向、考え方としては誰もが共感でき、B to C企業が持つべき基本姿勢のように思えます。
では、企業活動という文脈において、このユーザー志向を追求する目的は何でしょう?

一般的な理解は以下のようなものではないでしょうか。

ユーザーの価値を最大化する活動を継続することによって、中長期的に企業としての利益を最大化することができる、だからこそ、ユーザー志向が大事なのだと。

実は、この説明は論理的とは言えません。

 

利益志向とユーザー志向の原理的矛盾

ユーザーにとっての価値は、当然サービスの質を高めることによって高まります。また、サービスの価格を適正な(高くない)レベルに抑えることも、ユーザー価値の増加に資すると考えられます。ビジネスモデルが同じであれば、前者の活動はコストを上げ、後者の活動は売上を下げる方向に向かいます。そうなると、当然、利益率は悪化し、それを上回る売上増がない限りは、利益が増える方向に向かいません。

したがって、ユーザー価値が高まれば、企業の利益が高まる、という論理は一般的には成り立たないのです。

このような単純な図式で「ユーザー志向」をとらえてしまうと、経営的にはもちろん、現場のビジネスマンにとっても、矛盾に満ちた活動と判断を迫られる日々が待っています。特に経営者にとって、利益の継続的成長と株主価値の最大化が、経営上の絶対的なゴールとして強く意識づけられている一方、日々ユーザーと接している現場のビジネスマンにとっては、「ユーザー志向」はそれ自体を目的とすべき、輝く行動指針としてとらえられます。

このように、「ユーザー志向」の目的が、経営上のゴールに繋がらないという状態は、組織全体に大きなコンフリクトをもたらすことになります。

この結果「ユーザー志向」という考え方が、経営者と現場の間における目的意識の「共感」を、かえって妨げることになり、企業としての組織的な取り組みが困難な状況を生んでしまうわけです。

 

社会に適応的な行動とは?

しかし、やはり「ユーザー志向」は正しいことのように思えます。

それはなぜでしょうか?

一般的な「世間」の理解では、企業の社会的使命は、利益を最大化することではなく、社会に還元する価値を最大化すること、だからです。そして、「世間」に共有された期待を、あからさまに裏切ることは、社会に適応的な行動ではないため、利益の最大化を「ユーザー志向」よりも優先させる組織は、やがて淘汰される運命にあります。

このことは、経営者から見ると、合理的なことには思えません。社会的規範は、経済合理性という表層的な「論理」によっては構成されず、身体の体験と環境への適応本能の積み重ねによって構成されるからです。

組織が、(進化論的な意味で)社会に適応的な存在であり続けられること、それが、「ユーザー志向」を支持すべき理由ではないでしょうか。

こう考えると、「ユーザー志向」を追求すれば、自ずと結果(=企業利益)は付いてくる、という信念も、企業体を存続させる説明戦術としては有効ですが、少し視野の狭い議論であると言わざるを得ないでしょう。

 

企業経営がAI化不可能な創造性を持ち続けるために

そもそも、企業経営というものは、論理的・合理的な判断の積み重ねでは不可能な活動です。もし、高速PDCAと、中長期的なROIの正確な予測をもとに、論理的に利益を最大化する打ち手を継続することが企業経営だとしたら、それは人工知能に任せるべき活動だということになります。

社会的なビジョンを描き、生活者の共感を得られる何かを創出しつづけること、ある種の論理的な断絶、飛躍を伴う「イノベーション」を起こす組織的な活動を担うこと、それこそが、人工知能にはできない、企業経営の使命ではないでしょうか。

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